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7月

(30・金)


・庭木の剪定。伸び放題になった樹木の整枝、剪定が終わると、毎度の事ながら、さっぱり、気分ソウカイ。
(23・金)


・二十四節気の大暑。明日は土用の丑の日で、いよいよ酷暑到来となる。関東甲信と九州南部で梅雨明けしたと見られると気象庁が発表。梅雨期間中の雨量としては、1951年の統計開始以来、2番目に多かった由。

(20・火・海の日)


・Sr.が欧州土産を持参して、連れ添って帰宅。videoを観ながら、久しぶりの全員による夕食会。昨日の照明器具取りつけ、クロス張りが終了して、室内は一段と明るくなった。

(16・金)


・ハイライトの特注システムキッチンセットが遠回りしたあげくにやっと到着して取りつけ完了。それにしても、スペースにぴったり収まる寸法取りはさすが、と言うか、当然と言うべきか。

(09・金)


・このところ、『日の丸・君が代』問題がかまびすしいが、日本国民の一人として、国を代表する歌と旗の問題、もう少し単純に考えて良いのではないか。 『白地に赤く』染め抜かれたマンマル印の国旗。世界の万国旗をいろいろ見比べても『日の丸』は最もシンプルで、最もすばらしい旗ではないかと考える一人なんだが。

・日の丸の起源ははっきりしないが、16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際に軍旗として、また17世紀の朱印船に使われたようだ。明治政府は、明治3年(1870年)、太政官布告で日本船が掲げる国旗として様式を定めた。タテ、ヨコの比率は7:10、赤丸の直径はタテの長さの5分の3とか。

・現在の国歌、君が代の原型は古今和歌集にあり、和漢朗詠集に現在のものと同じ歌が『読み人知らず』として載っている。
・・・わが君は千世に八千世にさざれ石の巌となりて苔のむすまで・・・延喜5年(905年)、古今和歌集の賀歌(かのうた)の部の冒頭部分

・明治2年(1869年)、薩摩藩砲兵隊長(後に陸軍大臣)の大山巌が欧米諸国の例に習って、天皇が臨席する式典で演奏する歌が必要と考え、古歌から歌詞を選んだとされる。

・作曲は最初、軍楽隊教師で英国人のフェントン。その後、1880年に宮内省雅楽課が現在の雅楽調に作り変え、当時の天長節(明治天皇の誕生日)に宮中ではじめて演奏された由。

(07・水)


・Sr.が初の欧州出張へ旅立つ。ジュッセルドルフ、ミュンヘン、コペンハーゲン、ロンドンの各都市への10日間の歴訪だと。貴重な経験、せいぜい見聞を広めて欲しいもの。

(06・火)


・隣の河さんの仲介でY社長がバトンを受けて引き継いでくれることになった。まったく、おさがわせな事だが、とにかく早く、そして上手にやってほしいもの。

(05・月)


・弁護士のF氏と10時事務所にて面談。約10年ぶりの再会になろうとは奇遇だが、持つべきは大切な知人、友人の一人ではある。

・『元気の素』と言われているタマネギの効用について調べてみた。タマネギには『アリン』と言う成分が含まれており、これが体の疲労を回復させたり、神経や筋肉の働きを良くするビタミンB1の効果を高める働きをするのだと言う。ということで、我が家の自家製タマネギ入りサラダはやっぱり『元気の素』になっているに違いない。

(02・金)


・トキ2世の名前が『優優』(ゆうゆう)と決定した。画家の平山郁夫氏ら5人による選考懇談会の結果を踏まえての決定とのこと。「優優」を提案したグループは164。中国・上海の日本人学校や佐渡の6っつの小学校などが含まれているとか。有効数7684通(11199グループ)に及ぶ応募があったとか。

(01・木)


・世紀の記念となるべき1日か。