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3月



(31・土)


・朝からときどき大きなボタン雪が舞ったり、冷たいみぞれが降り続くなど、季節はずれの肌寒い一日となりました。満開の桜の花も寒さに縮みあがったことでしょうが、珍しい「雪の中のさくら風景」のシャッターチャンスは残念ながら逃してしまいました。

(28・水)


・久しぶりのウォーキングでナマッタ体をほぐしました。片道45分の図書館への道すがら、目に入る風景はひところに比べて一変し、すっかり春の装いとなっていました。「さくら前線」もいつの間にか関東地方を通り抜けて、当地相模原地方では早や、「さくら満開!」の勢いです。

(27・火)


・インドネシアのミスターSとNのふたりから、丁重な “Condolence” のメールが届きました。ありがとう。Sの母親の病状も一進一退とのこと。かつて、インドネシアで入院先の病院に見舞った事を思い出しましたが、「母親を思う気持ちは同じだなあ」と思うばかりです。

(21・水)


・市役所に出向き、母に関する事柄についての法的手続きを済ませました。折柄、本館前の広場にはポピーの花が見事に咲き誇っていましたが、それはまさに「天国の園」を思わせるかのようでした。


(16・金)


・午前9時44分、母が88年の天寿を全うして他界しました。穏やかで安らかな表情での最期でした。白装束に身をまとって棺の中で眠っている母の姿が、脳裏からどうにも離れません。94歳の老父はその妻である母のために次のような歌を詠んで、私にそっと見せてくれました。
「あの山を 越へて烟(けむり)と いで去るし 白無垢蓮に 会へる日もがな」

(11・日)


・「つくしんぼ」が顔を出していることに気がついたのは、ちょうど1週間前の「啓蟄」の頃でした。通いなれた散歩道から少し脇に外れたところで、夏から秋にかけてはスギナが一面に生い茂っていましたが、冬場の今ではきれいに刈り取られている原っぱの中です。

・「つくしんぼ」がスギナの地下茎から出た「くき」であることは一般的に知られていることでしょう。しかし、その字が「土筆(つくし)」であるとは辞書を引いて見て初めて知りました。先っぽの穂が筆の先に似ていて丸い形をしていることから当てられたものでしょうか。「なるほど」と納得した次第でした。

・「ツクシンボ」は食用としてもイケルものです。酢味噌で、晩酌のつまみとしていただきました。

(4・日)


・高等学校の同窓会が開かれ、九州、関西など各方面から総数66名の旧友達が東京・市谷の会場に集合しました。昭和32年3月の卒業以来、実に44年ぶりの再会だったり、お互いの「顔かたち」がやや「変形」した人がいたり、最初はいくぶん戸惑いも見られていましたが、当時の面影はお互いにちゃんと残っていました。「ほろ苦い青春時代」を語り合ううちに、気が付くと、いつの間にか日付が変わる時間になっていました。

(3・土)


・赤いおべべを着飾った孫娘の初節句を祝いました。「親王・内裏ひな」の両側に、「明かりをつけましょボンボリに・・・お花をあげましょ桃の花・・・」や「コンペイトー(金米糖)」、「ひなあられ」を飾り、菜の花のおひたし、ハマグリの吸い物にチラシ寿司、そして桜もちにデコレーションケーキ・・・と、なにやら明るい空気が漂う、ホントに「今日は楽しいひな祭り・・・」でした。

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