伊豆下田・歴史探訪ウォーキング

下田公園展望台から下田港を望む

 南伊豆・下田。幕末、黒船来航により開国の舞台となったこの街には当時の状況を物語るさまざまな名所旧跡が残されている。

  桜の花を愛でつつ歴史の息吹を感じながら歩く「伊豆下田・歴史探訪ウォーキング」を試みた
(2005年4月8日)。
                 (参考資料:下田市観光協会リーフレット、現地案内板ほか)


稲田寺(とうでんじ)
  初代のアメリカ総領事ハリスに仕えた唐人お吉の夫でだった船大工・川井又五郎(幼名鶴松)が眠っている墓がある。
  山門を入って右側の阿弥陀堂には平安時代後期の阿弥陀如来坐像(像高208cmの大像)が安置されている。また左手には大きなフジ棚があり、藤の花が満開になる時期には多くの見物人で賑わうらしい。
<鶴松の一生>
  総領事ハリスの待妾として仕えた唐人お吉の陰に隠れて、鶴松の一生はあまりにも哀れであった。

  後年になって仲睦まじく同棲生活をした4年間であったが、それも束の間のある夜、鶴松はあえなく心臓の病で急死してしまった。
稲田寺山門 鶴松の墓



宝福寺
  ペリーが来航し日米和親交渉に当った際に、日本の本陣となった下田奉行所が置かれた場所。

  唐人お吉の菩提寺でもある。奥にひっそりと建つ墓には、今なお献花が絶えない。お吉の命日である3月27日には「お吉まつり」が行なわれる。
正面右側が「お吉記念館」 下田奉行所が置かれた御堂



泰平寺
  初代の下田領主・戸田忠次の墓がある。

  今も残る碁盤の目の形をした下田の町並みは、戸田の統治のもとで整えられたもの。現在の「殿小路」「紺屋町」などの町名は当時の名残を示している。
入口全景 戸田忠次の墓



了仙寺
  1855年(安政元年)に日米和親条約の調印式が行われた寺で、その後、米人休息所となった(国の史跡指定)。日蓮宗の名刹でもある。

  別名「ジャスミンの寺」とも呼ばれ、1000株ものアメリカジャスミンが植えられている。染井吉野の桜も見事である。

  宝物館には幕末外交史資料のほか日米欧で収集された多くの資料が展示されている。また「性と宗教」をテーマにした「秘仏コレクション」もあり、日本の民間信仰・宗教、チベットの仏像コレクションも豊富だ。                                      
ペリー上陸の碑
  記念碑の台座にはペリーの胸像が置かれ、台座横には米海軍から寄贈された錨が添えられている。

  ペリーの視線の先には下田条約が調印された了仙寺がある。

台座横に据えられているのは錨
境内の大樹サクラ



長楽寺
  1855年(安政元年)に幕府とロシア側の全権プチャーチンとの間で締結された日露和親条約の舞台となった場所。これによって国境が定まり、エトロフ島とウルップ島との間に境界を置くこととし、エトロフ島・クナシリ島・ハボマイ島・シコタン島は日本領に、ウルップ島以北の千島列島はロシアに属し、カラフトについては日露両国人の雑居を認めることとなった。また、 先に締結された日米和親条約の批准書が交換されたところでもある。

  現在の鐘楼と梵鐘は昭和51年に再建されたものであるが、古くは江戸時代から「時の鐘」として下田港に停泊中の船舶や町民に親しまれていた。
鐘楼と梵鐘の先には満開のサクラ 日露・日米条約の舞台となった




下岡蓮杖の碑
  下田生まれの画家。ペリー艦隊来航時に西洋の写真術を学び、日本の写真術の開祖となった。

  少年時代に江戸の薩摩藩屋敷で銀板写真を見てその精巧さに驚嘆したのを契機に、写真術の習得を志す。オランダ人通訳ヒュ-スケンからの手ほどきよろしきを得て、のちに横浜ほかで写真館を開業。

  現在、靖国神社遊就館には彼の巨大な油絵「函館戦争図」「台湾戦争図」が残されている。
吉田松陰拘禁の跡
  幕末の志士・吉田松陰は海外事情を学ぶため鎖国の禁を犯し密航することを決意した。長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に勧められ急行したが間に合わず、ペリー艦隊のあとを追って下田へ来た。

  その後ペリーに渡米を懇請したものの拒絶され、 空しく敗れた松陰等は下田奉行所の役人によってこの場所に拘禁されることとなった。
石碑と胸像



安直楼(あんちょくろう)お吉の小料理屋
  アメリカ総領事ハリスに仕えた「お吉」が1882年に小料理屋を営んだ建物である。

  1857年、恋人鶴松との仲を裂かれて領事館に出仕したお吉は、以後、町の人たちから「唐人お吉」と蔑まれ酒に浸って、やがて姿を消す。年月を経て、「安直楼」を開業したが、自ら酒に溺れて数年のうちに店をたたむ。

  幕末開港の影に咲いた一輪の花、お吉は1890年、稲生沢川に身を投げてその儚い生涯を閉じた。48歳であった。
史蹟「安直楼」
  この建物は唐人お吉が明治15年より料亭「安直楼」を経営した店でお吉の没後は当店が寿司店を開業。
  以来、3代108年にわたり営業を続けて参りましたが、現在は下田市の歴史建造物(史蹟)として皆様方の見学に供しております。
 2階には安直楼当時の客間と遺品なども保存してありますので、どうぞお気軽にお入り下さい。安直楼当時の雰囲気に浸るのも一興かと存じます。
             (主人敬白)
建物正面



なまこ壁の家

<なまこ壁とは…>
  民家や土蔵などの外壁様式のひとつで、壁面に四角い平瓦を並べて貼り、継ぎ目には漆喰をかまぼこ型に盛り上げて塗ったもの。
  防火、保湿、防湿の効果に優れ、海辺など風の強い地域に適した工法といわれる。 




しだれ桃

  下田市街地から約4km北上した蓮台寺温泉の一角に群生している「しだれ桃」の林。まさに桃源郷といっても良さそう。