小田原市・松永記念館
電力の鬼・松永安左衛門の別世界

戦前戦後を通じて電力事業を幅広く手掛け、「電力王」とか「電力の鬼」と呼ばれた松永安左衛門は60歳を境に茶を趣味とするようになり、ここ小田原の「老欅荘(ろうきょそう)」の居宅で晩年を過ごした。

隣接して建てられている「松永記念館」には安左衛門ゆかりの美術品や作家中河与一コレクションが展示されている。

なお、古美術品の多くはその後、福岡市美術館に移された(2005/6/14)。

(参考資料:「小田原市郷土文化館分館 松永記念館」リーフレット、現地案内板ほか)


かつてここでは、吉田茂、池田勇人ら政財界の重鎮を招いての茶会が催された。




老欅荘(ろうきょそう)
この老欅荘は、安左衛門が昭和21年に埼玉県梁瀬(現、所沢市)から小田原に移り住むために建てられた。木造一部二階建ての数寄屋造りで、建物の面積(増築後)は約182平方メートル。茶室「葉雨庵(よううあん)」とともに国登録有形文化財に登録されている。

安左衛門(耳庵・じあん)は夫人とともに晩年をここで過ごす傍ら、ここで多くの茶会を催し、当時の有名な茶人、政治家、学者、建築家、画家などを招いた。「数奇茶人(すきちゃじん)」とも呼ばれ、近代茶人の一人として全国的にも有名になった。

耳庵(じあん)・・・この号は、「論語」の「五十にして天命を知り、六十にして耳に順(したが)う」からつけられたものといわれる。


欅の大樹と黒部の石
ケヤキの木・・・老欅荘の名のもとになった大樹。もともとこの丘陵地に成育していた推定樹齢400年とも云われる巨木。幹が低いところから四方八方へ広がる盃状になっていて珍しいとされる。

黒部の石・・・昭和30年代中ごろ、北アルプス黒部から運び込まれてケヤキの下に据えられた。重量10トンはゆうに超えるほどの大きな自然石だ。


茶室「葉雨庵」
この茶室は、元来、中外商業新聞(現、日本経済新聞)社長や三井(後の三越)百貨店社長などを歴任した野崎廣太(幻庵・げんあん)が、諸白小路(もろはくこうじ・現、市内南町)の別荘「自怡荘(じいそう)」内に建てていたものであって、その後こちらに移築されたものである。

現在では、広く一般に公開、開放し茶会などに利用されている。


庭園
記念館の庭園は、耳庵の好みによるもので、形式にとらわれず自然の趣を基調として設計されている。

中央に配された池の周囲には散策路があり、西洋シャクナゲ、スイレン、ショウブ、アジサイ、フジ、ツバキ、モモなど、季節折々の花々を楽しむこともできる。

また、古くは奈良、平安時代の石造り物などがところどころにさりげなく置かれているなど、見どころの多い庭園だ。
池のスイレン
アマチャ アカンサス シチダンカ