元箱根石仏・石塔群を探ねて
鎌倉時代に建立された大規模な仏教遺跡

(追補)次の2点を追加しました(2006/10/2)。
磨崖仏(まがいぶつ)(俗称 六道地蔵)の画像
お玉ヶ池に関すること
箱根芦ノ湖畔の元箱根から国道1号線を宮ノ下方面へ3kmほど北上したところに精進池があり、その付近に石仏や石塔がたくさん立っている。国の史跡・重要文化財に指定されている貴重な仏教遺跡である。

神秘的な雰囲気を漂わす精進池に沿って設えられた遊歩道を楽しみながら、大小数々の遺跡を探し歩いてみた
(2005/9/15)。

(参考資料:箱根町観光振興課リーフレット、保存整備記念館内展示資料、現地案内板ほか)

磨崖仏(まがいぶつ)
(俗称 二十五菩薩)





磨崖仏(まがいぶつ)
(俗称 二十五菩薩)

国道1号線をはさんで東側に3体、西側に23体が岩に彫られている。高さ3mもあろうかと思われる巨石に彫られた仏像で、俗称"二十五菩薩"と呼ばれている。

鎌倉時代の磨崖仏群で、永仁元年(1293)から造られ始めたもの。
仏像は仰ぎ見るもの
平成5年度の発掘調査によって崖状の地形が出現し、鎌倉時代は仏像を仰ぎ見るものであったことがわかっている。


磨崖仏(まがいぶつ)
(俗称 応長地蔵)

この地域には、身内に不幸があった際にこの地蔵の前で送り火を焚き霊を山へ送る習慣があったので、この仏像は「火焚き地蔵」と呼ばれている。

左側に書かれている梵字は、阿弥陀如来を表すのだとか。


五輪塔(ごりんとう)
(俗称 曾我兄弟・虎御前の墓)


永仁3(1295)年に地蔵講中によって建立されたという銘文がある。

石に「地蔵講」の銘が刻まれているのは、この五輪講が日本最古のものといわれている所以である。
五輪塔:
宇宙の五つの生成要素をかたどったもので、上から「空輪、風輪、火輪、水輪、地輪」の五つの"五輪"が礎石の上に乗っている。

水輪には仏像(画像右)が刻まれており、極めて稀な例であるとされる。


宝篋印塔(ほうきょういんとう)
(俗称 多田満仲の墓)


清和源氏発展の礎をつくったことで知られる武将、源満仲(913〜997)の墓。北面には、如来坐像が彫られている。


磨崖仏(まがいぶつ)
(俗称 六道地蔵)


国道1号線をはさんで、精進池の反対側にある巨大な磨崖仏で、鎌倉時代に彫られたもの。

ちなみに、この堂の正面に座ると、六道地蔵と目線がぴったり合うようになっている(地蔵画像の追補は06/10/2)。
六道
人は死に変わりし生まれ変わり、それが果てしなく続いていく。その道とは、「天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」である。


保存整備記念館

精進池の南側に建てられている。立体映像や迫力のあるサウンドを駆使し、歴史的背景を解説してくれるガイダンス施設。

特殊映像や照明・音響効果などが巧みに取り入れられており、臨場感あふれる展示場となっている。
かつて箱根は地獄だった
かつてこの付近は湯治街道として湯坂道の最も険しい峠にあたり、厳しい気候と火山性の荒涼とした景観でもあったので、地獄の地と呼ばれていた。

救済や極楽浄土を願う人々の思いが霊場のテーマに沿って絵やジオラマで再現されており、興味深い展示施設となっている。


お玉ケ池
箱根旧街道を畑宿方面に向う途中の左側に位置する。池の由来からして、何やら不気味な感じもしないでもない。

池の端には、上二子山と下二子山が並んで池の面を見下ろしている(この項の追補は06/10/2)。
お玉ケ池の由来
元禄15年(1702年)4月27日、伊豆大瀬村の太郎兵衛の娘・お玉は国許に帰る途中、手形がないので裏山を通り抜けようとしたが、発見され関所破りの罪で処刑された。

お玉の首をこの池で洗ったといわれるところから、この池が"お玉ヶ池"、裏山の坂は"お玉坂"と呼ばれるようになった(現地の案内板より)。