宮崎神宮・秋の大祭
秋を彩る時代絵巻

宮崎の秋を彩る宮崎神宮大祭(神武さま)が29、30の両日、宮崎市の中心街で華やかに繰り広げられた。御神輿(おみこし)、獅子舞、流鏑馬(やぶさめ)、それにシャンシャン馬などの行列が神宮からお旅所までの約4kmを2時間半かけて練り歩いた。

この大祭は1876年(明治9年)に始まったもので、今年で129年の歴史を重ねる「歴史・文化的財産」でもある。このような伝承文化が今後とも着実に継承されていくことを願い、ここにその一端を紹介しつつ記録に留める
(2005/10/30)。
             参考資料:御神幸祭奉賛会編「神武さま広場」、「宮崎日日新聞」

馬の背で揺られる花嫁姿が初々しいミス・シャンシャン馬


御神幸行列
先ず、行列のお通りを告げる列太鼓の響きとともに大麻(おおぬさ)が先頭を祓い清める。続いて、獅子舞、鉄杖(てつじょう)、大真榊(おおまさかき)、御神輿(おみこし)など古式にのっとった列が従い、その後には約100人の男女稚児、12頭の流鏑馬、160人からなる子ども神輿、ミス・シャンシャン馬、古代の武者行列などへと続く。


シャンシャン馬
御神幸行列に加わるようになったのは1949年(昭和24年)だから今年で56回目を数えることになる。半世紀を経た今日でも「神武さまの華」として人気の的。
シャンシャン馬の由来
大正初期頃まで行なわれていた"嫁入り"の風習「鵜戸さん参り」を再現したもので、県内外から今なお根強い人気が残っている。

当時、七浦七峠といわれる険しい道を歩き通した新郎新婦を、親族が馬を連れて途中まで出迎え、新郎がその馬に花嫁を乗せ手綱を取って家路へと向かった。馬が歩くたびに"シャンシャン"と鳴る鈴の音から"シャンシャン馬"と呼ばれるようになった。またその音は新婦の到着を告げる音でもあったであろう。


神武天皇お船出「おきよ丸」
今年の目玉となったのが神武東征伝説を基に製作された「おきよ丸」の登場。西都原古墳群から出土した舟形埴輪(はにわ)をモデルにしているとのことで、 長さ12m、幅2.2m、重さ約2tの古代船は威容を誇る。

神武天皇や妻の阿比良(あひらつ)姫役らが乗船し、従者が掛け声に合わせて櫂を漕いだり、ほら貝を吹き鳴らしながら大通りを"船出"していく風景はひときわ注目を浴びるものであった。

神武東征伝説
神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこのみこと、後の神武天皇)は長じて45歳の時に、兄の五瀬命(いつせのみこと)らとともに語らって国家統一を思案し兵を率いて美々津の港から東をめざした。いわゆる神武東征である。

神武さま
宮崎神宮は紀元前7年までこの宮崎の宮で天下の政治をとられたという初代天皇神武天皇を主神とし、その父 鵜葺草葺不合の尊(ウガヤフキアエズノミコト)、母 玉依姫命(タマヨリヒメ)を祀る伝統ある神社であり、市民の間では宮崎神宮、神武天皇のことを「神武さま」と呼び親しんでいる。