平和の塔@宮崎・平和台公園
〜塔の中央に刻まれた四文字:"八紘一宇"

■ 市北西部の標高60mの丘陵地に聳え立つ高さ37mの塔で、塔の正面中央に「八紘一宇(はっこういちう)」の文字が刻まれている。正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」であるが、戦後は改称されて「平和の塔」と呼ばれている。

■ 昭和15年(皇紀2600年)に建造されたもので、直ぐ近くには神武天皇が大和に東征するまでの皇居跡と伝えられる「皇宮屋
(こうぐや)・皇宮神社」がある(2005/3/20)。
         (参考文献:三叉たかし著「ある塔の物語」観光みやざき編集局・2002)

公園の中央広場から眺める塔全景。訪れる人たちが踏み石の上に立って"手をたたく"風景が良く見られる 踏み石の上に立って手をたたくと、塔に反響して"ビ〜ン♪"という音が聞えてくる


八紘一宇(はっこういちう)
秩父宮殿下の御染筆を拡大したもので、塔の正面中央に刻まれている。この四文字は「太平洋戦争期に、わが国の海外進出を正当化するために用いた標語で、世界をひとつの家とすること」(広辞苑)を意味している。

この文字は昭和21年1月、文字の意味するところの精神が戦争目的に利用されたとしてGHQの命令によって削除されたが、昭和40年1月になって現在の石板に刻記され復元されるにいたった。そして呼称も「平和の塔」「平和台公園」と改められた。
「基柱四魂像」(もとはしらしこんぞう)
基柱の四隅には民族の結束と向上を表す篝火台が置かれ、その基には武人、工人、農人、魚人として仮の姿を見せた神霊が配されている。

荒御魂(あらみたま・武人)、奇御魂(くしみたま・漁人)、幸御魂(さちみたま・農耕人)、和御魂(にぎみたま・商工人)の四像で、昔の生活風俗をしのばせている。


背面には建造年を記念して刻された「皇紀二千六百年」の文字が見える


隣接の「はにわ園」に咲く椿 中央広場に咲く桜 平和の塔を眺める埴輪