(2003)平成15年・上期 1月〜6月
平成15年(2003年)6月28日
第220回定例会
○ 他の会合とのダブリなどもあって欠席者多く、急遽中止する羽目に陥った。
少数の出席者があれば、「開催強行」すべきなのかどうか難しいところだ。
平成15年(2003年)6月14日
第92回METI謡曲連盟春季大会
○ 楽しみにしていた大会であるが、よんどころない用事のため欠席することとなった。
お稽古を続けてきた「繪馬」のシテ役であったが、ご披露の機会を失って残念。
○ 代役などご迷惑をおかけすることになってしまったが、やむを得ないこと。
平成15年(2003年)6月7日
松木千俊独立15周年記念・松謳会
○ 松木千俊師門下生の発表会である。わがグループからの出演は都合7組。
初級曲から大曲まで精一杯の勤め上げが全て終わったのは、夜7時過ぎであった。
○ 久しぶりに堪能し切った謡い会であった。
平成15年(2003年)5月24日
第219回定例会
○ 3人がお師匠のお稽古とダブルなど都合7人が欠席されたこともあり、予定していた演目のうち「大原御幸」は省略することになった。
他の演目「頼政」「小袖曾我」「善知鳥」「高野物狂」「橋弁慶」の5曲については、代役を立てながらの番組進行を余儀なくされた。
○ 出番は「頼政」と「善知鳥」のワキ役、「橋弁慶」のトモ役、その他3曲についての地謡。
ツヨ吟の演目が多くて、少々疲れた。
それだけに、終了後に行われた恒例の宴会では、いつにもなく冷たいビールの消化が進んだようだ。
平成15年(2003年)4月26日
第218回定例会
○ 演目は、「繪馬」「松風」「杜若」「歌占」「雲雀山」の6曲。
予定されていた「養老」は、シテ役ワキ役がともに欠席されたために省略することになった。
○ 出番は「繪馬」のシテ役と「杜若」の地頭、その他全曲についての地謡。
○ 「繪馬」は6月開催予定のMETI謡曲連盟夏季大会での出演曲でもあり、本番前のリハーサルを兼ねるものともなった。
平成15年(2003年)3月22日
第217回定例会
○ 先月の2月例会が会場の都合で流会となったため、2か月ぶりの開催となった。
○ 出席は12名。演目は、「海士」「屋島」「隅田川」「百萬」「大仏供養」「春日龍神」の6曲。
久しぶりに発声する機会でもあったため、気分爽快となるものでサッパリした。
○ 九番習い物の「隅田川のシテ役を勤めたほか、「屋島」のツレ役、「春日龍神」の地頭役及びその他3曲の地謡役と出づっぱりとなった5時間であった。
平成15年(2003年)1月25日
第215回定例会・謡初め
○ 本年初めての謡い会。紋付袴を着用しての恒例の新年会である。
着物を着る機会が少なくなった最近では、「虫干し」の機会ともなる貴重なもの。
○ 欠席はひとりだけ。13名が勢ぞろいしての賑やかなものであった。
○ 冒頭、「神歌」を謡う前に盃に注がれたお神酒を全員でいただく。無くてはならない儀式?のひとつ。
○ 演目は、「神歌」「巴」「二人静」「景清」「野守」の5曲で、このうち「神歌」のツレ、「景清」のシテ、「野守」のシテ
といずれも大曲の重いものを勤めることとなった。
平成15年(2003年)1月18日
第16回檀の会
○ 松木千俊師独立15周年を記念して開かれた
「檀の会」は今年で16回目。
○ 昭和62年2月、先代千冬師が闘病中に
立ち上げられた思い出の第1回公演を彷彿とさせる
盛大なものであった。
○ 渋谷・松涛町にある観世能楽堂。
開演は午後2時。1時間ほど前から入場を待つ列が出来た。
先代から受け継がれた「松謳会」とともに「檀の会」の隆盛ぶりを肌で感じる謡い会であった。
○ 番組内容は次のとおり。
能 | 羽衣 | シテ 松木千俊 ワキ 宝生 閑 |
大鼓 亀井忠雄 小鼓 北村 治 太鼓 金春惣右衛門 笛 一噌仙幸 |
地謡 | 浅井文義 武田友志 武田文志 ほか5人 |
後見 武田尚浩 武田宗和 |
狂言 | 鶏聟 | 舅 野村 萬 聟 野村与十郎 太郎冠者 野村祐丞 教へ手 野村万之丞 |
。。。 | 。。 | 。。。 | 。。。 |
仕舞 | 頼政 二人静 |
武田志房 観世芳宏 観世芳伸 |
。。。 | 地謡 | 武田宗和 武田尚浩 小野里修 北浪貴裕 |
。。。 |
能 | 烏帽子折 | 子方 松木崇俊 ツレ 武田友志 シテ 松木千俊 ワキ 宝生欣哉 立衆 野村昌司 ほか8人 間狂言 野村万之丞 ほか4人 |
大鼓 亀井広忠 小鼓 宮増新一郎 太鼓 観世元伯 笛 一噌隆之 |
地謡 | 武田志房 浅見真州 岡 久広 ほか5人 |
後見 坂井音重 観世芳宏 観世芳伸 |
○ 千俊師にとっての「羽衣」は、第1回檀の会で勤め上げられた思い出深い曲。
「初心に戻るつもりで勤める」とのご本人のご挨拶どおりの素晴らしいものであった。
○ 「烏帽子折」は、師の長男崇俊に子方を勤めさせ、自らは初の2番能としてシテを勤めるというもの。
この曲の子方は「子方の卒業」とされる大曲であり、 この春に小学6年生になる長男にとっては
記念すべきお勤めであった。
○ 後シテがつけた面は大山阿夫利神社蔵のものということで、貴重なもの。
立衆を大勢引き連れて牛若(子方)と繰り広げた舞台は迫力満点、見事なものであった。
○ また、野村萬師の和泉流狂言「鶏聟」は錦上花を添えることになって、良かった。