(平成18年(2006年)上期・1月〜6月)





平成18年(2006年)6月24日
第256回信和銘人会・6月例会

K氏が急逝されて初の謡会で、何やらシンミリムード。来月の例会は追善会と銘打っての催しとすることを申し合わせた。

出し物は「賀茂」「兼平」「采女」「唐船」「蟻通」の5番で、「采女」のワキ(旅僧)、「唐船」の子方(唐子)、「賀茂」の地頭、その他の地謡を勤める。

「唐船」:支那と日本に夫々残した二人ずつ4人の子供と彼らの老父にまつわるストーリー。誰ともなく現代の「北朝鮮拉致悲劇」に置き換えての話題を口にしたのもむべなるかな、であった。
唐船
(地)『陸にハ舞楽に乗じつゝ。陸にハ舞楽に乗じつゝ。名残おしてる海面遠く。なりゆくまゝに。招くも追風。船にハ舞の。袖乃羽風も。追風とやならん。帆を引き連れて。舟子ども。帆を引き連れて。舟子どもハ。喜び勇みて。唐土さしてぞ。急ぎける』



平成18年(2006年)6月10日
第98回METI謡曲連盟春季大会

昨年秋の会を欠席したので1年ぶりの出席。来年のこの時期には100回記念を迎えることになり、その話題でひとしきり。年2回で100回、つまり50年の歳月。半世紀の歴史は大事にしなくっちゃ…。

所属する流派別に演目を披露する従来方式による素謡会で我が観世からは素謡「田村」「羽衣」「天鼓」「葵上」の4番、仕舞「田村」を、喜多からは素謡「熊坂」と仕舞「花筐」「砧」「融」の3番を、また宝生からは素謡「杜若」を披露。



平成18年(2006年)6月4日
相謡会一部会・6月例会

6月例会は年2回恒例の「研修会」となる。シテ役に割り当てられた7人が夫々の"希望曲"を披露するスタイルでの進行。

出し物は「難波」「弱法師」「羽衣」「定家」「野宮」「葵上」「邯鄲」の7番で、「難波」のワキ(朝臣)と「邯鄲」の子方・舞童、その他全曲の地謡を勤める。



平成18年(2006年)6月3日
松木千冬十三回忌追善松謳会

観世流シテ方職分松木千冬を偲ぶ追善の謡会が観世能楽堂(渋谷)で賑々しく催された。朝9時から夜7時過ぎまでの番数は、素謡12番、仕舞18番、能1番、独吟4番、連吟4番、舞囃子2番、能1番。いずれも熱演の連続であった。

師十三回忌に相応しく、武田志房、観世芳宏、観世芳伸ほかの出演も花を添えるものとなった。

能楽堂ロビー

道成寺 班女 杜若 玉之段 當麻 田村



平成18年(2006年)5月27日
第255回信和銘人会・5月例会

名曲揃いの「田村」「草子洗小町」「大原御幸」「櫻川」の4番が本日の出し物。「櫻川」のワキ役、「草子洗小町」の立衆・貫之の二役、「大原御幸」の内侍、「田村」の地頭を勤める。

なお、15時過ぎからはテレビによる能楽鑑賞会(NHK教育テレビ能・狂言番組)に移行した。折りしも、武田志房師、松木千俊師他がテレビ出演されるとの情報を得ていたもので、「七騎落」の熱演をじっくり味わうことの出来る良い機会となった。
草子洗小町
(地)『住吉の。住吉の。久しき松を洗ひてハ岸に寄する白波をさつとかけて洗はん。洗ひ洗ひて取り上げて。見れば不思議やこハ如何に。数々乃その歌乃。作者も題も。文字の形も少しも乱るゝ事もなく。入筆なれば浮草の。文字ハ一字も。残らで消えにけり。ありがたやあありがたや。出雲住吉玉津島。人丸赤人の御恵みかと伏し拝み。喜びて龍顔にさしあげたりや』

櫻川
(上歌)『花鳥の。別れつゝ親と子乃。別れつゝ親と子乃。行方の知らで天離る。鄙の長路に衰へば。たとひ逢ふとも親と子の面忘れせば如何ならん。うたてや暫しこそ。冬篭りして見えずとも。今ハ春べなるものを我が子の花ハなど咲かぬ我が子の花ハなど咲かぬ』



平成18年(2006年)5月7日
相謡会一部会・5月例会

出し物は「絵馬」「錦木」「海士」「西行櫻」「雲雀山」「胡蝶」「」「」の8番なるも、午後3時過ぎ、私用のために「箙」「鵺」を残して退席。

出番は「胡蝶」のワキ(旅僧)、「雲雀山」の地頭とその他曲の地謡を勤める。この会における地頭は初のお勤めであり、心地よい緊張感?を伴うものであった。
雲雀山
(上歌)『
げにや世の中ハ。定めなきこそ定めなれ。夢ならば覚めぬ間に。はやとくとくとありしかば。乳母御手を引き立てゝ。お輿に乗せまゐらせて御喜びの帰るさに。奈良の都の八重桜咲き返る道ぞめでたきき返る道ぞめでたき』

西行櫻
(上歌)
『捨人も。花にハ何と隠家の。花にハ何と隠家の。所ハ嵯峨の奥なれども。春に訪はれて山までも浮世乃性になるものを。げにや捨てヽだに。この世乃外ハなきものを何処か終の。住処なる何処の終の住処なる』



平成18年(2006年)4月22日
第254回信和銘人会・4月例会

櫻蘂のじゅうたんとなってしまった坂道を上る。すっかり、春うららの気分に浸りながらの、会場への通い道であった。

出し物は「」「摂待」「昭君」「国栖」「鞍馬天狗」の5番。そのうち、「昭君」のシテ、「国栖」のワキ、「鞍馬天狗」の地頭が割り当てとなる。

美しい娘・昭君を帝に召し出されてしまうことになって嘆く老人夫婦の夫役(白桃)。
準九番・「摂待」のワキ(武蔵坊弁慶)役、義経主従12人が奥州へ落ちる際の物語。所要時間67分の長時間で疲労感も覚える大曲であった。
昭君
(上歌)『
かの昭君乃黛ハ。かの昭君乃黛ハ。緑の色に匂ひしも。春や繰るらん糸柳の思ひ乱るゝ折ごとに。風諸共に立ち寄りた木蔭乃塵を払はん木蔭の塵を払はん』

摂待
(上歌)『
父賜べなうとて走り寄れば。岩木をむすばぬ義経なれば泣く泣く膝に抱き取る。げにや栴檀ハ。二葉よりこそ匂ふなれ。真に継信が子なりけりと。外の見る目までみな涙をぞ流しける』



平成18年(2006年)4月13日
「観世会荒磯能」@観世能楽堂

渋谷・能楽堂での定期能「荒磯能」を鑑賞。今年1月以来となる能楽鑑賞であるが、さすがに観世会を代表する新進気鋭の能楽師たちとあって、身震いをさえ感じさせる熱演であった。
仕舞:「俊成忠度」金子聡哉  「羽衣」佐川勝貴 地頭:大松洋一
能  :「養老」下平克宏 地頭:浅見重好 (後見:藤波重満 観世芳宏)
狂言:「入間川」山本泰太郎
能  :「鞍馬天狗」松木千俊 地頭:武田志房 (後見:観世清和 小早川修)



平成18年(2006年)4月2日
相謡会一部会・4月例会

旅行中のため3月例会を休んだので、久しぶりの顔合わせとなる。出し物は「仲光」のシテ役、その他「竹生島」「忠度」「二人静」「大原御幸」「葛城」「高野物狂」の地謡を勤める。
竹生島
(地)『夜遊の舞楽も時過ぎて。夜遊の舞楽も時過ぎて。月澄み渡る。海面に。波風頻りに鳴動して。下界の龍神現れたり』『龍神湖上に出現して。龍神湖上に出現して。光も輝く金銀珠玉をかの客人に。捧ぐる気色。ありがたかりける。奇特かな』

二人静
(上歌)『木の芽春雨降るとても。木の芽春雨降るとても。なほ消え難きこの野辺の。雪の下なる若葉をば今幾日ありて摘まゝし。春立つと。言ふばかりにや三吉野の山もかすみて白雪の消えし跡こそ道となれ消えし跡こそ道となれ』



平成18年(2006年)3月25日
第253回信和銘人会・3月例会

2月例会は「孫との遊び相手」を理由に欠席したので、久方ぶりの例会出席。出席者は、病気療養中のSさん、Kさんを除く11名全員で、これまた久方ぶりに賑わうものとなった。

出し物は、「忠度」「蘆刈」「西行櫻」「藤戸」「春日龍神」の5曲。うち、「蘆刈」の地頭役と「藤戸」のシテ役、その他曲の地謡を勤める。
西行櫻
(上歌)『捨人も。花にハ何と隠家の。花にハ何と隠家の。所ハ嵯峨の奥なれども。春に訪はれて山までも浮世乃性になるものを。げにや捨てヽだに。この世乃外ハなきものを何処か終の。住処なる何処の終の住処なる』


藤戸
地『折節引く汐に。引かれて行く波の浮きぬ沈みぬ埋木の岩乃。狭間に流れかヽって。藤戸の水底の。悪霊の。水神となって恨みをなさんと思ひしに。思はざるに。御弔ひの。御法の御船に法を得て。即ち弘誓の船に浮かめば水馴棹。さし引きて行く程に。生死の海を渡りて願ひのまヽに。やすやすと。彼の岸に。到り到りて。彼の岸に到り到りて。成仏得脱の身となりぬ成仏の。身とぞなりにける』



平成18年(2006年)2月5日
相謡会一部会・2月例会

9時50分開始、16時30分終了。お馴染みハードな番組で『鶴亀』『屋島』『熊野』『東北』『雲林院』『鉢木』『通小町』の7曲を勤める。疲労感をやや感じさせるが、心地よい充足感にあふれるのがたまらなく宜しい。
熊野
(上歌)『四条五条乃橋の上。四条五条も橋乃上。老若男女貴賎都鄙。色めく花衣袖を連ねて行末乃。雲かと見えて八重一重。咲く九重乃花盛り名に負ふ春の景色かな』

鉢木
シテ『仙人に仕へし雪山乃薪』
ツレ『かくこそあらめ』
シテ『我も身を』
地『捨人の為の鉢の木切るとてもよしや惜しからじと。雪うち払ひて見れば面白や如何にせん。まづ冬木より咲き初むる。窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも。異木よりまづ先だてば梅を切りや初むべき。見じといふ。人こそ憂けれ山里の。折りかけ垣の梅をだに。情けなしと惜しみしに。今更薪になすべしとかねて思ひきや。桜を見れば春毎に。花少し遅ければ。この木や侘ぶると心を尽くし育てしに。今ハ我のみ侘びて住む。家桜切りくべて緋桜になすぞ悲しき』
シテ『さて松はさしもげに』
地『枝をため葉をすかしてかヽりあれと植ゑ置きし。そのかひ今ハ嵐吹く。松ハもとより煙にて。薪となるも理や切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや』



平成18年(2006年)1月29日
第19回「檀(まゆみ)の会」

1987年(昭和62年)に先代・松木千冬師によって立ち上げられた「檀の会」、今年は数えて19回目の開催(東京観世能楽堂)である。

今回のテーマは「親子」。
兄弟の友愛とともに母親に対する感情を見事に演じた五郎役の松木崇俊。少年天鼓と父王伯とをしみじみと演じ切った松木千俊。いずれも熱演の"親子"であった。

十郎祐成と五郎時致兄弟は母への思いを…。

"妙音"を発する鼓。少年天鼓は父への思いを…。
番 組
(能)
小袖曽我   母  松木千俊  後見  武田文志  地謡  武田祥照  小川博久
 五郎  松木崇俊  武田友志  佐川勝貴  浅井文義
 十郎  武田崇史  坂井音晴  武田宗和
 大鼓  柿原弘和  北浪貴裕  関根祥人
 アイ  高野和憲  小鼓  森澤雄司
 一曾隆之
(狂言)
樋の酒  シテ  野村万作  アド  深田博治
 野村萬斎
(仕舞)
鵜之段  小川博久  地謡  武田宗典
笠之段  下平克宏  武田文志
笹之段  小川明宏  武田友志
網之段  大松洋一  坂井音晴
枕之段  小早川修
(一調)
葛城  武田志房  太鼓 金春惣右衛門
(能)
天鼓  シテ  松木千俊  後見  武田尚浩  地謡  武田宗典  小川明宏
 ワキ  殿田謙吉  浅見真州  大松洋一  岡 久広
 下平克宏  武田志房
 アイ  石田幸雄  大鼓  亀井忠雄  小早川修  安陪信之
 小鼓  曾和正博
 笛  一曾仙幸
檀の会(まゆみのかい)
檀の会は重要無形文化財観世流シテ方松木千俊が主催し、能楽のすばらしさを皆様と追及していこうと企画している会です。
今回は親子をテーマにしました。母親と子供(小袖曽我)、父親と子供(天鼓)。皆様とあらためて考えてまいりたいと思います。               松木千俊
(「案内リーフレット」から引用)
「撮影お断り」のところでしたが、↑2枚の画像をノーフラッシュにて撮影させていただきました。ありがとうございます。

たんとの四季折々歳時記(2006/01)」にも別掲。



平成18年(2006年)1月28日
第251回信和銘人会・1月例会(謡初め会)

お馴染みの面々による初謡会。
丹田に力を入れて帯を締め、紋付ハカマを着用。和装姿のご婦人方が一段と明るい雰囲気を醸し出す謡いはじめ会となった。
出し物は「神歌」「鶴亀」「朝長」「東北」「求塚」の5曲。うち、「神歌」のシテ役と「鶴亀」の地頭役、その他曲の地謡を勤める。
神歌
(シテ)『およそ千年の鶴ハ。萬歳楽と謳うたり。また萬代の池乃亀ハ。甲に三極を備へたり。渚乃砂。さくさくとして朝乃日の色を瓏じ。瀧の水。玲々として夜乃月あざやかに浮かんだり。天下泰平。国土安穏。今日乃御祈祷なり。ありはらや。なぞの。翁ども』

鶴亀
(上歌)『庭の砂ハ金銀の。庭の砂ハ金銀の。珠を連ねて敷妙乃。五百重の錦や瑠璃の樞。しゃこの。行桁めのおの階。池の汀乃鶴亀ハ。蓬莱山も外ならず。君乃恵みぞ。ありがたき君乃恵みぞありがたき』

求塚
(上歌)『道なしとても踏み分けて。道なしとても踏み分けて。野沢の若菜今日摘まん。雪間を待つならば若菜も若しや老いもせん。嵐吹く森の木蔭小野の雪もなほ冴えて。春としも七草乃生田の若菜摘まうよ生田の若菜摘まうよ』



平成18年(2006年)1月8日
相謡会一部会・1月例会(初謡会)

初声合わせ&初顔合わせとなる本年最初の謡会は24名参加の賑々しいものとなって、すこぶるよろしかった。朝9時45分開始で7番をクリアー。昼食のための1時間と途中休憩2回を入れて、終了は午後4時半。充足感あふれるなかで心地よい疲労感も残る謡初め会であった。

出し物は「難波」「」「定家」「采女」「富士太鼓」「百萬」「船弁慶」の7曲。出番は、急遽の代役指名となった「箙」のワキのほか「富士太鼓」のワキ、「船弁慶」のワキツレ、その他全曲への地謡であった。
定家
地『面なや面はゆの有様やな』
シテ『もとよりこの身ハ』
地『月の顔ばせも』
シテ『曇りがちに』
地『桂の黛も』
シテ『落ちぶるヽ涙乃』
地『露と消えてもつたなや蔦の葉乃。葛城の神姿。恥ずかしや由なや。夜の契り乃。夢の中にとありつる所に帰るハ葛の葉乃。故の如く。這ひ纏はるヽや定家葛。這ひ纏はるヽや定家葛の。はかなくも形ハ埋もれて。失せにけり』

百萬
(キリ)『よくよくものを案ずるに。かの御本尊ハ元よりも。衆生の為乃父なれば。母諸共に廻り逢ふ。法乃力ぞありがたき。願ひも三つの車路を。都に帰る嬉しさよ都に帰る嬉しさよ』