(平成18年(2006年)下期・7月〜12月)





平成18年(2006年)12月17日
相謡会一部会・12月例会・研修会兼謡納め会

地謡専念の一日。「井筒」の地頭を勤めたほか、その他「小督」「」「葵上」「弱法師」「千手」「邯鄲」「小鍛冶」の地謡7番。

終了後、場所を割烹Kに移しての忘年の宴。ほろ酔いとなる年忘れ会となった。
千手
(上歌)『思へたゞ。世ハ空蝉乃唐衣。世ハ空蝉の唐衣。著つゝ馴れにし妻しある。都の雲居を立ち離れ。はるばる来ぬる。旅をしぞ思ふ衰への。憂き身の果ぞ悲しき。水行く川の八橋や。蜘蛛手に物を思へとハ。かけぬ情のなかなかに馴るゝや怨みなるらん馴るゝや怨みなるらん』

邯鄲
(上歌)『四季折々は目の前にて。春夏秋冬萬木千草も。一日に花咲けり。面白や。不思議やな。かくて時過ぎ頃去れば。かくて時過ぎ頃去れば。五十年の栄華も尽きて。真ハ夢の中なれば。皆消え消えと失せ果てゝ。ありつる邯鄲乃枕の上に。眠りの夢ハ。覚めにけり』



平成18年(2006年)12月9日
第262回信和銘人会・12月例会

久しぶりの例会。このグループとしては本年謡納めとなる謡会である。
習い物である「弱法師」のシテほか、「源氏供養」のワキ、「竹生島」「羽衣」の地頭を勤める。

出し物は「竹生島」「羽衣」「源氏供養」「巻絹」「弱法師」の5番なり。



平成18年(2006年)11月5日
相謡会一部会・11月例会

Y氏の突発的入院という余波?もあって、庶務的作業の幾つかを任されることになった。早期のご快癒を祈りたいものだ。

出し物は「和布刈」「清経」「楊貴妃」「百萬」「蝉丸」「玄象」「紅葉狩」の7番。うち、「楊貴妃」のワキ(方士)と「紅葉狩」の地頭を勤めた。本日の殿ともなった「紅葉狩」は季節柄の紅葉狩の酒宴の場をテーマとするものでもあったので、最期の祝言のリードと共に気分盛り上がった。
楊貴妃
(上歌)『されども世乃中の。されども世の中乃。流転生死の習ひとて。その身ハ馬嵬に留まり魂ハ。仙宮に到りつゝ。比翼も友を恋ひ独り翼を片敷き。連理も枝朽ちて。忽ち色を変ずとも。おなじ心の行方ならば。終の逢瀬を頼むぞと語り給へや』

蝉丸
(上歌)『かゝる憂き世に逢坂の。知るも知らぬもこれ見よや。延喜の皇子の成り行く果てぞ悲しき。行人征馬の数々。上り下りの旅衣。袖をしをりて村雨の振り捨て難き。名残かな振り捨て難き名残かな』

紅葉狩
(上歌)『下紅葉。夜乃間の露や染めつらん。夜乃間の露や染めつらん。朝乃原ハ昨日より。色深き紅を分け行く方の山深み。げにや谷川に。風乃懸けたる柵ハ。流れもやらぬもみじばを。渡らば錦中絶えんと。先づ木の下に立ち寄りて。四方の梢を眺めて暫く休み給へや』



平成18年(2006年)10月28日
第260回信和銘人会・10月例会

ご婦人方全滅となって男性6名だけの定例会となった。代役による割り当て役多く、「正尊」のワキ、「通小町」のシテ、「自然居士」のワキツレ、「熊坂」の地頭を勤む。
通小町
地『あかつきハ。あかつきハ。数々多き。思ひかな』
シテ『我が為ならば』
地『鳥もよし啼け。鐘もたゞ鳴れ。夜も明けよたゞ獨寝ならば。つらからじ』
シテ『かやうに心を。尽しつくして』
地『かやうに心を尽し尽して。榻乃数々。よみて見たれば。九十九夜なり。今ハ一夜よ嬉しやとて。待つ日になりぬ。急ぎて行かん。姿ハ如何に』



平成18年(2006年)10月22日
相謡会創立40周年記念・謡曲発表会(市民文化祭参加)

午前10時開演、午後5時過ぎ閉演の市民文化祭。当一部会からの出し物は素謡「通盛」「籠太鼓」「花月」と仕舞「老松」「半蔀」。

日頃の精進よろしく、上首尾! との自画自賛をしておこう。



平成18年(2006年)10月1日
相謡会一部会・10月例会

秋の市民文化祭への参加曲(「通盛」「籠太鼓」「花月」)の予行をも兼ねたので、定例お稽古分(「當麻」「敦盛」「江口」「三井寺」「放下僧」)と合わせ計8番を勤めることとなった。

当日は、「通盛」のシテ役を勤めることとなるが、前シテ(漁翁)と後シテ(平通盛)との仕分けがポイントとなりそう。
通盛
(地)『げにあるがたやこの経乃。面ぞ暗き浦風も。蘆火乃影を吹き立てゝ。聴聞するぞありがたき。憂きながら。心乃少し慰むハ。心乃少し慰むハ。月乃出汐の海士小舟。さも面白き浦の秋乃景色かな。所ハ夕波乃。鳴門の沖に雲つゞく。淡路の島や離れ得ぬ浮世乃業ぞ悲しき浮世の業ぞ悲しき』

花月
名ノリ
シテ『そもそもこれハ花月と申す者なり。或人我が名を尋ねしに答へて曰く。月ハ常にして言ふに及ばず。さてくわの字ハと問へば。春ハ花夏ハ瓜。秋ハ菓
冬ハ火。因果の果をば末期まで。一句乃為に残すと言へば。人これを聞いて』
地『さてハ末世乃高祖なりとて天下に隠れもなき花月を我を申すなり』

放下僧
(上歌)シテ『面白の。花の都や』
地『筆に書くとも及ばじ。東にハ。祇園清水落ち来る瀧の。音羽の嵐に。地主の櫻ハ散り散り。西ハ法輪。嵯峨の御寺廻らば廻れ。水車の輪乃。臨川堰の川波。川柳ハ。水に揉まるヽ。枝垂柳ハ。風に揉まるヽふくら雀ハ。竹に揉まるヽ都の牛ハ。車に揉まるヽ茶臼ハ挽木に揉まるヽ。げにまこと。忘れたりとよ筑子ハ放下に揉まるヽ。筑子の二つ乃竹の。代々を重ねてうち治まりたる御代かな』



平成18年(2006年)9月9日
第259回信和銘人会・9月例会

6月例会以来、久しぶりに顔なじみの面々に接しての朗詠となる。気分よし。

出し物は「清経」「鉄輪」「卒都婆小町」「玉鬘」「梅枝」の5番で、「清経」のシテ(平清経)、「卒都婆小町」のワキ(高野山僧)、「玉鬘」のワキ(旅僧)、「鉄輪」の地頭、「梅枝」の地謡と全曲にフル出場。圧巻は、Sさんとのコンビによる重習曲「卒都婆小町」のお勤めであった。
清経
(上歌)『怨みをさへに言ひ添へて。怨みをさへに言ひ添へて。くねる涙乃手枕を。ならべて二人が逢ふ夜なれど怨むれば獨寝の。ふしぶしなるぞ悲しき。げにや形見こそ。なかなか憂けれこれなくハ。忘るゝ事もありなんと思ふも濡らす袂かな思ふも濡らす袂かな』

卒都婆小町
(地)『行きてハ帰り。帰りてハ行き一夜二夜三夜四夜。七夜八夜九夜。豊の明の節会にも。逢はでぞ通ふ鶏乃。時をも変へず暁の。榻乃はしがき百夜までと通ひ往て九十九夜になりたり』



平成18年(2006年)9月3日
相謡会一部会・9月例会

7月・8月の銘人会と8月の相謡会例会をそれぞれ欠席したので、まるまる2か月ぶりの謡会出席となった。久方ぶりの発声が出来て、気分爽快。

出し物は例月通り8番で、「雨月」「俊寛」「芭蕉」「浮舟」「龍田」「小袖曽我」「国栖」「船弁慶」。このうち、「国栖」の地頭、「俊寛」のツレ成経、「小袖曽我」のツレ五郎、その他の地謡を勤める。

その他、10月開催の市民文化祭への参加予行演習をも行ったので、午後5時までのハードな一日となった。
俊寛
(上歌)『此処とても。同じ宮居と三熊野の。同じ宮居と三熊野乃。浦の濱木綿一重なる。麻衣の萎るゝをたヾそのまゝの白衣にて。真砂を取りて散米に。白木綿花の御禊して神に歩みを。運ぶなり神に歩みを運ぶなり』

国栖
(上歌)『牡鹿伏すなる春日山。牡鹿伏すなる春日山。水嵩ぞ増る春雨の。音ハ何処ぞ吉野川。よしや暫しこそ。花曇りなれ春の夜乃。月ハ雲居に帰るべし頼みをかけよ玉の輿頼みをかけよ玉の輿』



平成18年(2006年)7月2日
相謡会一部会・7月例会

出し物は「三輪」「朝長」「水無月祓」「源氏供養」「隅田川」「橋弁慶」「天鼓」「鵜飼」の8番。うち、「源氏供養」のシテ(里女、紫式部)が割り当て。女性専科である「水無月祓」を除く全曲の地謡を勤める。

隅田川:我が子を思う母の念仏"南無阿弥陀佛"
南無や西方極楽世界。三十六萬億。同号同阿弥陀仏。南無阿弥陀仏ナムアアミダブツなむあみだぶつ・・・その数、13回。
源氏供養
(上歌)『寝もせで明すこの夜半の。月も心せよ。石山寺乃鐘の声。夢をも誘ふ風の前。消えしハそれか燈火乃光源氏の跡弔はん光源氏の跡弔はん』