(平成19年(2007年)上期・1月〜6月)
平成19年(2007年)6月23日 第100回METI謡曲連盟夏季大会・創設50周年記念 昭和32年11月に創設された当謡曲連盟は爾来、各年2回の謡会を毎年欠かすことなく開催してきた。今回で100回の節目の大会を迎えることとなり、本日、来賓のゲストをお迎えして盛大にも催された。 素謡として観世流から「善知鳥」「桜川」「邯鄲」「高砂」の4番を、喜多流から「竹生島」を、宝生流から「杜若」の計6番、仕舞として宝生、喜多から4番が披露された。最後に、三流合同の素謡として全員によって「猩々」を朗々として謡い納めした。 終演後の会場は恒例の宴席へ模様替え。全員に記念品として「舞扇」が配布された。創設50年の記念誌は本日の模様を取り入れて近日中に発行する予定。 |
平成19年(2007年)6月9日 第268回信和銘人会・6月例会 「熊野」「花筐」「花月」「葵上」「富士太鼓」の5番。「花筐」のワキ、「富士太鼓」の子方、「葵上」の地頭、その他の曲の地謡を勤める。 |
平成19年(2007年)5月13日 相謡会一部会・5月例会 日程変更の関係で、2日連続しての謡会参加となった。折しもの夏めいた一日、汗だくのお稽古と相成った。 「羽衣」「天鼓」「水無月祓」「高砂」「大原御幸」「経正」「鵺」のうち、「大原御幸」のワキツレと「経正」の地頭を勤めた。 |
平成19年(2007年)5月12日 第267回信和銘人会・5月例会 帰省中だったために先月の4月例会を休んだので、"久しぶり"という感じのする謡会出席。おまけに、全員が参加したので賑々しい謡会となったのもすこぶるケッコウ。 「頼政」「大原御幸」「小袖曽我」「善知鳥」「橋弁慶」の5番。うち、「善知鳥」のシテ(尉、猟師)とその他の地頭を勤める。 |
平成19年(2007年)4月1日 相謡会一部会・4月例会 「養老」「兼平」「阿漕」「吉野天人」「熊野」「蘆刈」「安達原」の番組なるも午後に別の用件あり、3番の番組を終えて早退す。 役割分担は「兼平」のシテ役と「養老」「阿漕」の地謡。 |
阿漕 (地)『思ふも恨めし古の。娑婆の名を得し。阿漕がこの浦に。なほ執心の。心引く網の手馴れし鱗類今ハ却って。悪魚毒蛇となって。紅蓮大紅蓮の氷に身を傷め。骨を砕けば叫ぶ息ハ。焦熱大焦熱乃。焔煙。雲霧。起居に隙もなき。冥土の責も。度重なる阿漕が浦の。罪科を済け給へや旅人よ。済け給へや旅人とて。また波に。入りにけりまた波の。底に入りにけり』 |
平成19年(2007年)3月11日 相謡会一部会・3月例会 会場の都合により開催日が「第2日曜日」に変更となったため、昨日に引き続いての謡会参加となる。「老松」「頼政」「七騎落」「吉野天人」「桜川」「山姥」「融」の7番で、相変わらずのハードな謡会である。 |
桜川 (上歌)『花鳥の。別れつゝ親と子乃。別れつゝ親と子乃。行方の知らで天離る。鄙の長路に衰へば。たとひ逢ふとも親と子の面忘れせば如何ならん。うたてや暫しこそ。冬篭りして見えずとも。今ハ春べなるものを我が子の花ハなど咲かぬ我が子の花ハなど咲かぬ』 |
平成19年(2007年)3月10日 第265回信和銘人会・3月例会 師匠のお稽古日変更によって本会へ参加出来なくなる人が出てきたため、今月より「第2土曜日開催」に変更することとなった。 約1か月ぶりとなる謡発声となる。 「屋島」「隅田川」「百萬」「大仏供養」「春日龍神」の5番にフル出演し、すこぶる快調。「百萬」のシテ(狂女百萬)、「隅田川」の子方(梅若丸)、「屋島」と「春日龍神」の地頭を勤める。 |
隅田川 (上歌)『残りても。かひあるべきハ空しくて。かひあるべきハ空しくて。あるハかひなき帚木の。見えつ隠れつ面影乃。定めなき世乃習ひ。人間愁ひの花盛り。無常の嵐音添ひ。生死長夜の月乃影不定の。雲覆へりげに目の前乃浮世かなげに目の前乃浮世かな』 百萬 (地)『たまたま逢ふハ優曇華乃。花持ち得たり夢か現か幻か。よくよくものを案ずるに。よくよくものを案ずるに。かの御本尊ハ元よりも。衆生の為乃父なれば。母諸共に廻り逢ふ。法乃力ぞありがたき。願ひも三つの車路を。都に帰る嬉しさよ都に帰る嬉しさよ』 |
平成19年(2007年)2月4日 相謡会一部会・2月例会 私用により先月の初謡会を休んだので、本会への参加は今年初めてとなる。演目は「高砂」「巴」「自然居士」「東北」「松風」「柏崎」「猩々」の7番で、相変わらずハードな謡会となった。 役柄は「自然居士」のワキとその他全曲の地謡を勤める。 |
高砂 (上歌)『四海波静かにて。国も治まる時つ風。枝も鳴らさぬ御代なれや。あひに相生乃。松こそめでたかりけれ。げにや仰ぎても。事も疎かやかゝる代に。住める民とて豊なる。君乃恵みぞありがたき君乃恵みぞありがたき』 |
平成19年(2007年)1月27日 第263回信和銘人会・1月例会(謡初め会) 11名全員参加で、しかも和服着用という賑々しい初謡となった。 冒頭、「神歌」の吟朗を前にして全員でお神酒を頂く恒例の儀式。丹田に力を入れての『とうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう〜』。すこぶる好し。 演目は「神歌」「巴」「二人静」「景清」「野守」の5番。いずれも名曲にして、重い曲で充実感残る。 「景清」のシテ(景清)をツレ(人丸)役のS女史とともに勤め上げた。景清の娘役として熱演したS女史、感極まって途中で目頭を押さえていたのにはこちらまで感激!であった。 |
景清 (シテ)『目こそ暗けれど』 (地)『目こそ暗けれども。人の思はく一言の内に知るものを。山ハ松風。すは雪よ見ぬ花の覚むる夢の惜しさよ。さて又浦ハ荒磯に寄する波も聞ゆるハ。夕汐もさすやらん。さすがに我も平家なり。物語始めて御慰みを申さん』 |
平成19年(2007年)1月20日 第20回檀(まゆみ)の会 1987年(昭和62年)に先代・松木千冬師によって立ち上げられた「檀の会」、今年は数えて20回目の節目となる開催(東京観世能楽堂)である。 今回のテーマは「源平の悲哀」。 経正…死後もなお、なつかしげに琵琶を弾く平家の公達を見事に演じた平経正役の松木崇俊。能楽師の元服といえる初めての面をかける初面(はつおもて)となる記念すべき舞台であった。 船弁慶…頼朝に追われ仕方なく別れなければならない義経と静。それを見つめる弁慶。その一方で壇ノ浦に沈んだ平家の大将知盛。静御前と平知盛とをしみじみと、また劇的なスペクタルショーとして演じ切った松木千俊。いずれも感動の熱演であった。 |
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『波風も。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変らじと。契らりし事も定めなや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に二度逢はんとぞ思うふ行末…』 | 『知盛が沈みしその有様に』 『また義経をも海に沈めんと。夕波に浮かめる長刀取り直し。…』 『その時義経少しも騒がず』 |
檀の会(まゆみのかい) 檀の会は重要無形文化財観世流シテ方松木千俊が主催し、能楽のすばらしさを皆様と追及していこうと企画している会です。 今回は源平の悲哀をテーマにしました。戦とは一体何のために争うのでしょうか。ご一緒に考えてまいりたいと思います。 松木千俊 (「案内リーフレット」から引用) |
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