3月



(2003/3/26 : 常泉寺・大和市)


3月26日(水)
「お花の寺」・常泉寺のミツマタ
○ 神奈川県大和市にある「お花の寺」として名高い常泉寺では、現在、名物のミツマタの花が競うように咲き誇っている。

「日本一の規模を誇る」朱・黄・白のミツマタの花・・・。

お花見の適期とあって、小田急江の島線・高座渋谷駅に降り立つファンは後を絶たない。お寺まで徒歩10分の道程も何となく雰囲気を醸し出す街並みである。

100m程つづく参道の両側に植えられた250本ものミツマタの木。平地に植栽されているものとしては「日本一の規模」を誇るといわれるだけあって、さすがに見ごたえがあるというものだ。


3月22日(土)

旬の味・タケノコ
○ 田舎からタケノコが送られてきた。
春の訪れを待って、地表にわずかに顔を覗かせたばかりの「竹の子」。

○ いつもながら、春到来を実感させる貴重な贈り物。
ありがとうございました。






3月20日(木)
いくさ、いがみ合い、戦争の結末は・・・。
中東・イラクでの出来事。

○ 懸念されていたことがいとも簡単に始まってしまった。
お互いの意地の張り合いとも思えるような状況のなかで始まった。空しさと無力感が漂う。

○ 精密なハイテク戦略。
「衝撃と恐怖」が戦法だという。恐ろしいやり方、いや効果的な戦法か。
まさかゲーム感覚的なやり方ではあるまい。

○ 「正当性と不当性」、「支配者と被支配者」、「人道と非道」、「破壊と建設」。そして「戦争と平和」。
お互いに神の名を引き合いに出し、相手への戦いを正当化する。悲しむべきこと。

○ 結末はどうなるか。
おそらく、お互いの憎しみ合いが増幅し泥沼化するだけのことのようでしようがない。

お彼岸ゑ
○ 戦争勃発という悲しむべき日。
友人からお誘いをいただいて、鎌倉・円覚寺の白雲庵で開かれた「お彼岸ゑ」に出かける機会を得た。

○ 「修羅と浄土を行き来するコトバと音楽の饗宴」。風変わりな「法会」であった。

○ 白雲寺住職 磯谷晴雄氏の法話(配布チラシより)
  『「彼岸」とは読んで字の如く、彼の岸、つまり向こう側の岸です。彼岸は、迷い、苦しみ、煩悩のない清らかな世界です。
  この日は太陽が真東から真西に沈む日で、仏教の説く中道の教えにかなうとされてきました。また、太陽が真西に沈むので西方極楽浄土を望むにはもっともふさわしく、信仰の厚い人がこの日に太陽の没する西方を望むと極楽浄土の姿を見ることができる、と伝えられています。
  海に沈む夕映えの光景を美しいと思わない人はいないでしょう。その夕映えの光に満ちた彼方こそ極楽浄土に相応しいと仏教者は考えたのです。
  祈るという心を忘れつつある現代人にとり、彼岸は先祖様を偲び、浄土への祈りをする絶好の機会ではないでしょうか。』 

ピアノとベースの旋律に合わせて、文楽義太夫の語りが朗朗と続く。
『せめて歌おう、誰もが心の中に修羅を抱えているのだから』

文楽義太夫の担い手豊竹英大夫が語りを勤め、JAZZ界屈指のピアニスト本田竹広とベーシスト立花泰彦が音楽を担当。そして「巳」の女武者役はNANYA−SHIP企画の南谷朝子が演じる。




第1部は、謡曲謳目録二百十番修羅物のひとつである謡曲「巴」を主題としたもの。木曾義仲に対する愛の執心を演じる女武者・巳御前の甲冑姿が凛々しく、熱演であった(左)。第2部は、 ピアノの旋律に乗ってベツレヘム・イエスキリスト・ハレルヤなどの単語が頻繁に飛び交う「ゴスペルin文楽」。「浄土への音楽」と題するユニークな音楽会であった(右)。


3月15日(土)
フローランテ宮崎
○ 宮崎・花の祭典「みやざきフラワーフェスタ2003」が開幕した。

○ オープニングとなった初日は生憎の空模様となったが、祭りのテーマ「光と風のファンタジア」のとおり
爽やかな雰囲気を醸し出すものであった。

○ フェスタは「こどものくに」をメイン会場とし、6月1日までの79日間にわたって県内8会場で開催されることになる。


3月12日(水)
謡曲「景清」と父母の慰霊塔
○ 市内平和台公園の裏手にある史跡・景清廟を訪ねた。
しばし境内に佇み、謡曲「景清」の物語展開に思いを馳せるよい機会であった。

○ 紀元2600年記念として「景清廟改築之碑」が建立されており、その傍らには
「孝女人丸姫之墓」や「景清父母之慰霊塔」、「薬師如来堂」などが並んでいる。

剛勇の聞こえ高い平家の侍・悪七兵衛景清は自ら盲目となって日向の国宮崎に下り、信仰一筋の日々を送る。鎌倉に住む娘・人丸は父を慕って海山を越えてはるばる尋ねて来た。・・・・・・

「景清く照らすいき目の水かかみ 末の世まても曇らさリけ里」

謡曲「景清」は、戦に負けた老武者の悲しみ、怒り、誇りが起伏する感情を中心として創意された「人情もの」である。
史跡・景清廟の入り口 平家滅亡後の隠れた悲話でもある。 碑名は「古社巡拝 景清父子之廟碑」


3月10日(月)
日本一・蒲生のクス
○ 亡き母の先祖の墓参を30数年ぶりに果たすことが出来て、感無量。
昔日の面影すらない町並みが一部で見られるものの、変わらないのは実家の門構えや家屋敷の様子。

○ 蒲生八幡神社にある国指定特別天然記念物、「蒲生のクス」も健在であった。
昭和63年度に行われた環境庁の巨樹・巨木林調査によって、日本一の巨樹であることが証明されている銘木である。

○ 創業が文政6年(1823年)とされる名物純甘酒製・加治木饅頭の総本家「美坂饅頭屋」を捜し求めてクルマを走らす。
ホカホカでフワフワ。何ともいえない小豆あんの風味、昔と変わらない味であった。

○ 交通状態ガラガラの陸橋の上で、桜島が噴煙を上げているのに出くわす。
時間に余裕あれば、もう少し近くから・・・の悔いが少々残る。

石垣や石段は昔のマンマ。 推定樹齢1500年、樹高30m、根廻り33.5m 加治木町錦江付近の車内から眺める桜島


3月9日(日)
平和台公園・八紘一宇の塔・はにわ園
○ 「平和の塔」は神武天皇御東征当時の宮居の跡といわれる「皇宮屋(こぐや)」の北側に建っており、
付近は下北方古墳群に囲まれている。

○ 塔は紀元2600年記念事業として「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」として建設されたもので、
昭和15年11月25日に完成した。

○ 基柱の文字「八紘一宇(はっこういちう)」は戦争目的に利用されたとして昭和20年8月に削除されたが、
昭和40年1月、永遠の平和を祈念して完全復元された。

平和の塔周辺の平和台公園は現在開催中
のフラワーフェスタ発祥の地でもある。
平和台公園に隣接している「はにわ園」。
苔むす台地に数々の埴輪が林立している。
近辺にある大小三つの池周辺では、
山桜の花が見事であった。


3月8日(土)
春爛漫の南国・宮崎

○ 昨年10月以来5か月ぶりの宮崎生活。
暫時、南国の新鮮空気を久しぶりに味わうことが出来そうで、うれしい。

宮崎市役所前広場。
強い陽射しのためか噴水がすががしい。
橘橋ぎわの橘公園。色とりどりの花や
ワシントンパームが南国情緒を醸し出す。
市内をゆったりと流れる大淀川の川面。
その河畔は絶好の散策路となっている。


3月6日(木)
啓蟄

○ 今年の春は例年にない寒さが続いているような感じ。
「虫が這い出す頃」とされる啓蟄なんて、虫サンたちは面食らっているのではないだろうか。

○ 今年の桜(ソメイヨシノ)の開花予想によると、記録的に早かった去年よりは遅いものの、
平年よりは1週間程度早く咲き始めるとの予想が出された。東京都心で3月26日だとか。ホントかなあ。


3月3日(月)
ひな祭り・春一番

○ 南からの強い風に悩まされた。
いわゆる「春一番が吹いた」ということらしい。

○ 先日吹いた強い風を「春一番」となぜ呼ばないのかなあと思っていたら、
あるラジオのお天気予報士さんが春一番のことを解説していた。

○ 「立春(2月4日)から春の彼岸中日(3月21日)の間で、気温15度以上
の暖かい日に吹いた、南からの強い風」を「春一番」という。なるほど。

○ ひな祭りで食卓を飾ったちらし寿司、これまた春到来の味でもあった。


(3月上旬のフロント・ページ)

○ 今年の春は、殊のほか冷たい風を感じる日が多いように思います。二十四節気のひとつ・啓蟄(3月6日)が過ぎましたが、この冷え込みでは虫サンたちの顔出しを迎えるには、いかにも可哀想な気がします。

○ しかし、
そうはいっても季節の循環は狂うことなく進行して行き、間もなく春のお彼岸入りを迎えます。そして、その後には春爛漫・サクラの開花が私達の目を楽しませてくれることでしょう(3月7日)。