(平成17年(2005年)下期・7月〜12月)




平成17年(2005年)12月24日
第250回信和銘人会・12月例会(謡納め会)

○ 本年最後の謡会にもかかわらず、出席者は6名のみ。どうやら、お孫さん相手のサンタクロース役の方にプライオリティがあったようで、サイレントナイトと相成った。

○ 出し物は「老松」「巻絹」「錦木」「放下僧」「車僧」の5曲、出番は「巻絹」のシテ、「放下僧」と「車僧」のワキ、「老松」の」ツレ、「錦木」の地頭とフル活動。当初予定していた「高野物狂」は省略して、早々と「忘年会」へと衣替え!することとなった。
放下僧
(上歌)シテ『面白の。花の都や』
地『筆に書くとも及ばじ。東にハ。祇園清水落ち来る瀧の。音羽の嵐に。地主の櫻ハ散り散り。西ハ法輪。嵯峨の御寺廻らば廻れ。水車の輪乃。臨川堰の川波。川柳ハ。水に揉まるヽ。枝垂柳ハ。風に揉まるヽふくら雀ハ。竹に揉まるヽ都の牛ハ。車に揉まるヽ茶臼ハ挽木に揉まるヽ。げにまこと。忘れたりとよ筑子ハ放下に揉まるヽ。筑子の二つ乃竹の。代々を重ねてうち治まりたる御代かな』



平成17年(2005年)12月4日
相謡会一部会・12月例会(研修会)、謡納め会

○ 例年とおり、一年の謡納めは研修会を兼ねるもの。予め指定されたシテ番が"自己申告した曲"をお披露目するスタイルでの番組進行だ。

○ シテ番に当てられた7人が申告した曲は、「三輪」「正尊」「江口」「柏崎」「」「蝉丸」「安達原」とそれぞれに由緒あるものばかり。そのうち小生がご披露したのは重習の「砧」。大役であったが、なんとかお勤めを果たしたのではないかと、自画自賛! しておこう。

○ 終演後の宴は席を変えて割烹すし屋にて。総勢24名の賑やかなものであった。
正尊
子方(靜)『変わらぬ契りを。頼む仲の』
地『変わらぬ契りを頼む仲乃。隔てぬ心ハ神ぞ知るらん。よくよく申せと静に諌められ。土佐坊御前を罷り帰れば。君も御寝所に。入らせ給はばおのおの退出申しけり』

江口
(上歌)『惜しむこそ。惜しまぬ仮の宿なるを。惜しまぬ仮の宿なるを。などや惜しむと夕波の。返らぬ古ハ今とても。捨て人の世語に。心な留め給ひそ』



シテ『文月七日の暁や』
地『八月九月。げに正に長き夜。千声萬声の憂きを人に知らせばや。月の色風の気色。影に置く霜までも心凄き折節に。砧の音夜嵐悲しみの声虫乃音交りて落つる露涙。ほろほろはらはらはらはらと。いづれ砧の音やらん』



平成17年(2005年)11月26日
第249回信和銘人会・11月例会

○ 他所の謡会への出席者が重なったこともあって、出席者は5名のみ。ご婦人方全滅の寂しい例会と相成った。

○ 出し物は「定家」「龍田」「殺生石」「船弁慶」「熊坂」の5曲の予定だったが、「龍田」を省略することとし早々に"ノド潤し会"へと移行した。

○ 「定家」のシテ、「殺生石」のワキ、「船弁慶」のワキ、そして「熊坂」の地頭を担当。
船弁慶のワキ役(武蔵防弁慶)は、日曜夜のデレビドラマ「義経」が佳境に入っている背景もあって、熱の入るものとなった。
定家
(上歌)『今降るも。宿ハ昔の時雨にて。宿ハ昔の時雨にて。心すみにしその人乃。あはれを知るも夢の世乃。げに定めなや定家の。軒端の夕時雨。古きに帰る涙かな。庭も籬もそれとなく。荒れのみまさる草叢の。露乃宿りもかれがれに物すごき夕べなりけり物すごき夕べなりけり』

殺生石
(上歌)『那須野の原に立つ石乃。那須野の原に立つ石乃。苔に朽ちにし跡までも。執心を残し来て。また立ち帰る草の原。物すさましき秋風の。梟松桂の。枝に鳴きつれ狐蘭菊の花に隠れ棲む。この原の時しも物凄き秋の夕べかな』

船弁慶
(上歌)『波風も。静を留め給ふかと。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変らじと。契りし事も定めなや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に二度逢はんとぞ思ふ行末』



平成17年(2005年)10月8日
第248回信和銘人会・10月例会

○ 9月例会が休会になったので10月例会を2週間繰り上げての開催となった。出席者10名で、まずまず。

○ 出し物は「夕顔」「江口」「鉄輪」「俊寛」「松虫」の5曲でいずれも名曲とされるものばかり。そのうち、「夕顔」のシテ、「江口」の地頭、及びその他全曲の地謡を勤める。
夕顔
(上歌)『つれなくも。通ふ心の浮雲を。通ふ心の浮雲を。払ふ嵐乃風のまに。真如の月も晴れよとぞ虚しき空に。仰ぐなる虚しき空に仰ぐなる』


江口
(下歌)『謡へや謡へ泡沫の。あはれ昔の恋しさを今も。遊女乃舟遊。世を渡る一節を謡ひて。いざや遊ばん』

俊寛
(上歌)『此処とても。同じ宮居と三熊野の。同じ宮居と三熊野乃。浦の濱木綿一重なる。麻衣の萎るゝをたヾそのまゝの白衣にて。真砂を取りて散米に。白木綿花の御禊して神に歩みを。運ぶなり神に歩みを運ぶなり』

松虫
(上歌)『今もその。友を偲びて松虫乃。友を偲びて松虫乃。音に誘われて市人乃。身を変へて亡き跡乃。亡霊此処に来りたり。恥ずかしやこれまでなり。立ちすがりたる市人乃。人影に隠れて阿倍野の方に。帰らん阿倍野の方に帰らん』



平成17年(2005年)10月2日
相謡会一部会・10月例会

○ 文化祭予行演習をも兼ねたため、いつもより30分早い9時半からの開始。素謡が「蟻通」「實盛」「夕顔」「半蔀」「三井寺」「小督」「鉄輪」「熊坂」の8曲、仕舞が「巻絹」「通盛」「江口」「猩々」の4曲で、夕方4時半までのみっちり。

○ 出番は「三井寺」のシテ・千萬の母役。"親子恩愛の狂乱"を演じ切れたかなぁ…。
實盛
(上歌)『気はれてハ。風新柳の髪を梳り。氷消えてハ。波旧苔の。髭を洗ひて見れば。墨ハ流れ落ちて元の。白髪となりにけり。げに名を惜しむ弓取ハ。誰を斯くこそあるべけれや。あら優しやとて皆感涙をぞ流しける』

半蔀
(上歌)『五条邊と夕顔の。五条邊と夕顔乃。空目せし間に夢となり。面影ばかり亡き跡の立花乃蔭に。隠れけり立花の蔭に隠れけり』

三井寺
(地)『月見ぬ里に。住みや習へるとさこそ人乃笑はめ。よし花も紅葉も。月も雪も故郷に。我が子のあるならば田舎も住みよかるべしいざ故郷に帰らんいざ故郷に帰らん。帰れば楽浪や志賀辛崎の一つ松。みどり子乃類ひならば。松風に言問はん。松風も。今ハ厭はじ桜咲く。春ならば花園の。里をも早く杉間吹く。風すさましき秋の水乃。三井寺に着きにけり三井寺に。早く着きにけり』



平成17年(2005年)9月4日
相謡会一部会・9月例会

○ 朝10時から夕方4時半まで、全8曲「雨月」「兼平」「浮舟」「佛原」「龍田」「盛久」「菊慈童」「蘆刈」のハード番組。出席された23名のみなさん、相変わらずお元気なものだ。

○ 準九番習い曲「盛久」のワキツレ役とその他全曲の地謡を勤める。もっとも、「浮舟」「佛原」はお稽古未修曲であったが。
雨月
(上歌)『折りしも秋なかば。折りしも秋なかば。三五夜中の新月乃。二千里の外までも。心知らるゝ秋乃空。雨ハ又瀟湘の。夜乃あはれぞ思はるゝ』

盛久
(上歌)『昔在霊山の。御名ハ法華一佛。今西方の主また。娑婆示現し給ひて我等が為の観世音。三世の利益同じくハ。かく刑戮に近き身乃。誓ひにいかで洩るべきや。盛久が終の道よも暗からじ頼もしや』

菊慈童
(上歌)『夢もなし。いつ楽しみを松が根の。いつ楽しみを松が根乃。嵐の床に仮寝して。枕の夢ハ夜もすがら身を知る袖ハ乾されず。頼みにし。かひこそなけれ獨寝の枕詞ぞ。怨みなる枕詞ぞ怨みなる』



平成17年(2005年)8月27日
第246回信和銘人会・8月例会

○ 先月に続き、出席者は7名のみ。日程上の都合でなく、体調不良を理由とされる人が多くなってきたようにも思う。先行き少々気懸かり。

○ 出し物は、「芭蕉」「三井寺」「葵上」「玄象」「」の5曲。割り当て役は「芭蕉」「葵上」「玄象」のワキ、「融」の地頭。いずれも曲趣よろしく、充実感あり。
芭蕉
(上歌)『惜しまじな。月も假寝の露乃宿。月も假寝の露の宿。軒も垣ほも古寺の。愁ひハ。崖寺の古に破れ。神ハ山行乃。深きに傷ましむ月乃影もすさましや。誰か言ひし。蘭省の花乃時。錦帳の下とハ。廬山乃雨の夜草庵乃中ぞ思はるゝ』

三井寺
(上歌)『月ハ山。風ぞ時雨に鳰の海。風ぞ時雨に鳰の海。波も粟津の森見えて。海越しの幽かに向かふ影なれど月ハ真澄乃鏡山。山田矢橋乃渡舟の夜ハ通ふ人なくとも。月の誘はヾ自づから。舟もこがれて出づらん舟人もこがれ出づらん』

玄象
(上歌)『里離れ。須磨の家居乃習ひとて。須磨の家居の習ひとて何事を松の柱や竹編める垣ハ一重にて。風もたまらじ傷はしや。海ハ少し遠けれども。波たヾこヽもとに。聞え来て何時の間に。夢をも御覧候べき。よしよしそれも御琵琶を。寝られぬまヽに遊ばせや我等も聴聞申すべし我も聴聞申さん』



平成17年(2005年)8月14日
相謡会一部会・8月例会

○ 午前10時から午後4時半までのハードな謡会出席。演目は「咸陽宮」「通盛」「井筒」「羽衣」「花筐」「善知鳥」「邯鄲」「葵上」の8曲で、いずれも"名曲"の部類に属するものばかりで充実感の残る謡会であった。

○ 出演割り当ては、「咸陽宮」のシテ(秦始皇帝)、「邯鄲」の子方(舞童)とその他全曲の地謡。
通盛
(上歌)『憂きながら。心乃少し慰むハ。心乃少し慰むハ。月の出汐の海士小舟。さも面白く浦の秋乃景色かな。所ハ夕波乃。鳴門の沖に雲つヾく。淡路の島や離れ得ぬ浮世乃業ぞ悲しき浮世乃業ぞ悲しき』

花筐
(上歌)『こがれ行く。旅を忍乃摺衣。旅をしのぶ乃摺衣。涙も色か黒髪乃。あかざりし別路乃あとに心の浮かれ来て。鹿の起臥堪へかねて。なほ通ひ行く秋草の。野くれ山くれ露分けて。玉穂の宮に着きにけり。玉穂の宮に着きにけり』

邯鄲
(上歌)『我が宿の。我が宿乃。菊の白露今日毎に。幾代積りて渕となるらん。よも尽きじよも尽きじ薬の水も泉なれば。汲めども弥増に出づる菊水を。飲めば甘露もかくやらんと。心も晴れやかに。飛び立つばかり有明の夜昼となき楽しみの。栄華にも栄耀にもげにこの上やあるべき』



平成17年(2005年)7月23日
第245回信和銘人会・7月例会

○ 久しぶりとなった謡会出席であったが、欠席者多く出席者は7名のみ。演目も2曲を省略することとなった。

○ 演目は「天鼓」「班女」「土蜘蛛」「山姥」の4曲のみで、「山姥」と「土蜘蛛」のシテ役、「班女」の地頭を勤めた。

○ 早々に、3時半から宴の開始と相成ったが、そろそろオヒラキの段にいたって、グラグラグラ〜の大きな地震。帰りの電車は大混乱で、予期せぬ"すし詰め満員電車"を余儀なくされることとなった。
天鼓
(上歌)『よしさらば。思ひ出でじと思ひ寝の。思ひ出じと思ひ寝の。闇の現に生まれ来て。忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりハ思ひなれ。たゞ何故乃憂き身の命のみこそ。恨みなれ命のみこそ恨みなれ』

班女
(下歌)『夏はつる。扇と秋乃白露と。何れか先に起臥乃床。すさましや獨寝の。淋しき枕して閨乃月を眺めん』



平成17年(2005年)7月3日
腰痛抜けず、謡会を欠席

○ 腰の違和感が未だに払拭しきれず、「相謡会7月例会」へ欠席連絡。長時間の正座姿勢を保つのは控えたほうが良かろうとの判断だが、旅行等の止むを得ない理由以外で謡会を欠席したのはいつ以来になることやら。

○ 先月の「信和銘人会」が会場の都合で休会となったので、久しくウナリ声を発していないことになる。